海外との教育の違い 「書くこと」
◯書く指導の視点がちがう
海外の実践を知って1番大きな収穫は、現在の自分の実践を客観しできることです。当たり前化していたルーティンを見直すきっかけとなるので、同僚のカナダ人には、よく彼の母国の実践や彼自身の学生時代の体験を聞くようにしています。その中で驚いた「書く」指導の違いについて今日はお伝えします。
日本でも1年生からあのね帳が始まり、長期休みには作文や日記の宿題が多くの場合出されているので、書くことに重点を置いている国の1つと言えると思います。海外でもアメリカやカナダではかなり重視されているようなのですが、視点が異なるようなのです。
ちがい1 ひな形を確実に使えるようにする
両国では、作文(エッセイと呼ばれています)指導において、ひな形を使えるようにすることがかなり重視されています。基本の型は以下の通りです。
1 主張
2 理由A
3 理由B
4理由 C
5 主張
学年が上がるごとに多少の肉付けはあるものの、基本的に大学の論文も文構造で書かれるようなのです。内容よりもまずは形を整えます。なぜ?初めて知ったとき衝撃でした。これまでの経験でもひな形を教えて書いたり、話したりを指導知ることはありましたが、あくまでも補助輪として。しっかりかけるようになるための支援としてとらえていたのですが、彼らは、基本の1番大事な部分に文構造を正しく正確に書くことを最重視し、何度も何度も反復します。
なぜなら、みんなが同じ構造を使用することによって、より効果的に読み手に考えが伝わると認識されているからです。特に文章のトピックが複雑になってくる高校、大学では、主張の内容がいくらよくても文の構造がぐちゃぐちゃになっていると読む気にもなれないのはわかる気がします。
一方日本では、構造よりも文章表現力に重きを置かれているように感じます。比喩や隠喩など、種類ゆたかな表現をつかえることは、俳句や短歌に見られるように文化の一部として捉えられ、一種のアート作品としても認知されています。だからこそ、影響力が強く、主張文、意見文の学習はあれど、言葉遣いや言い回しについての評価の重点は高いような気がします。その点、海外は文学アートと情報伝達のための文章構成力を完全に切り分け、前者は娯楽や創造性を豊かにするアクティビティに、後者を学習としてのメインに位置付けています。
さらにこのようなエッセイは、どの教科でも要求される課題となります。学習で学んんだことをテスト評価だけでなく、文章として表し、成績をつけるスタイルは、30代より上の世代からすると大学の授業のような気がしますが、それは全世界共通ではなかったようです。
どちらにもよさがあることは百も承知で、あえて批判的な見方をするならば、日本の「書くこと」についての指導カリキュラムはあまりにも不明瞭だと思います。とりあえず作文を書かせる。そんなものだと思っていた。僕もその1人です。しかし大事なことは、この学びは将来何につながるのだろうと教員が考えることであると、このような刺激を得るたびに感じます。
1コメント
2020.01.20 11:18